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笑いに関する一考察
2008-05-01
笑うことが好きだ。多くの人と同様、ガキの頃から笑いを求めてきた。
TV、ラジオ、まんが、書籍で。あるいは友人や大人に。
面白い人には、無条件で親しみを覚えたし、ガキの頃はそれだけで尊敬に値した。
そんな笑いについて少し考えてみた。
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まずは、どれだけ接してきたか振り返るところから。
親の影響なのだろう、ガキの頃から、お笑いに接する機会は多かった。
笑点
を見て、サザエさん
を見ると日曜日だと実感したし、
落語
は聞いたり、読んだりした。
スタ誕
見たさで土曜は学校からダッシュしたし、
いまや出演歴から完全に抹消している川島なお美
がコーナーを持っていた、
お笑いまんが道場
もマストだった。
あられちゃん
には笑い泣かされたし、ドラえもん
にも大笑いした記憶がある。
しかし、もっともこの時期影響を受けたのは、何をおいても全員集合
だろう。
初めて志村
の芸を見たときの衝撃はいまだに忘れられない。
ちょうどそのころ裏番組で始まったひょうきん族
は、
下品だという理由で見せてもらえなかった。
クラスの奴等の話に参加するため3度に1度は見たいと思い、
子供ながらに志村
や加トちゃん
だって充分下品だと思われるのだが…と主張するも、
あえなく却下された。
単に親の好みだったのだろうと思われる。
他にも、カックラキン
や欽ちゃん
は面白いと感じていた。
そうそう、忘れてはいけない、
少し遅れてはまったまんがにパタリロ
があった。
今の私の人格形成に少なからず影響を与えているはずである。
その後、たけし
、さんま
、所さん
の黄金時代、とんねるず
などを経て、
カノッサの屈辱
で、シュールでクールな笑いを知り、
チャップリン
に傾倒した。
その後、夢であえたら
、ガキつか
、ごっつ
、稲中卓球部
、まるちゃん
などにより、
幸福な青春時代を過ごした。
また、
開高健
などから文学と笑いについて、
寺山修二
、鴻上尚史
、野田秀樹
、イッセー尾形
などから、
演劇、舞台、芸術と笑いについて考えさせられた。
また、ビーン
におなかを抱えたのもこの頃。
社会人になっても、オンエアバトル
を毎週チェックし
(チャンピオン大会は第1回からくまなく見続けている)、
ボキャ天
、やるやら
、めちゃいけ
、はねる
、エンタ
、笑金
、リンカーン
、すべ話
などはときどき見てきたし、
私生活が忙しくなった今でもときどき見ている。
M−1
の審査にはいちゃもんをつけながら。
最近読んだ本で面白かったのは、これ
。
最近のお気に入りは、鼻兎
と、クリコ
ちゃんと、エレキング
とイロモネアだ。
ウィキペディアの「日本お笑い史」によれば、
私は第2世代から、現在の第5(6?)世代まで関わってきていることになる。
幸運なことだ。
思わぬ発見にうれしくなる。
では、次に、そもそも笑いとは何か
?
私は、ギャップだと思う。
言い換えれば、構図のずれ。
偏見や固定観念、一般的なパラダイムに
普段と異なる視点を与えることで生ずるずれを楽しむものである。
時に滑稽に、時に辛らつに。
微笑、哄笑、嘲笑、苦笑、歓笑、失笑、大笑、朗笑。
笑いに昇華させることでカタルシスを得られることも多い。
その効果は、ストレス
を軽減させ、アンチエイジングにも役立ち、
争いさえも回避する力を持つ。
また、時の権力者や自分の上位にある者への対抗手段、自衛手段としても用いられる。
ゆえに、お笑い芸人には、柔軟さ、斬新さとともに、
反逆、反骨の精神が求められる。
安易に定型に納まることは笑いに対する冒涜である。
お約束というパターンの笑いもあるにはあるが、
それは予定調和的なもので、
大抵、場を鎮めたり、仲間意識を高めたり、
空気を共有するための役割でしかなく、
面白いものではない。
親父ギャグが寒いとされるのも、このためであろう。
斬新さがなく、くだらなく、しつこい。
落ち着いてしまっては面白くないのである。
この点、最近あった、
聖火ランナーとしての欽ちゃんに対するたけしの発言はふるっている。
いわく、
「愛と涙ばっかり」「お笑いのくせにインチキくせえことばっかりしやがって」
http://narinari.com/Nd/2008049331.html
本人だって最近文化人気取りじゃん?という指摘はひとまずおいといて、
(芸人としての「ビートたけし」と監督としての「北野武」は別キャラということで)
やはり、芸人かくあるべしと思った次第。
世知辛い世の中になると芸人が増えるのも、
需要と共有から、世間が笑いによる癒しを求めていることの証左なのだろう。
*この記事のためにいろいろネット上で調べものをしていたら
笑い学研究なんて論文集があった。
大変興味深い内容なので、参考まで。
ちょぴっとでもお役に立てたら…クリックお願いです!
親の影響なのだろう、ガキの頃から、お笑いに接する機会は多かった。
笑点
落語
スタ誕
いまや出演歴から完全に抹消している川島なお美
お笑いまんが道場
あられちゃん
しかし、もっともこの時期影響を受けたのは、何をおいても全員集合
初めて志村
ちょうどそのころ裏番組で始まったひょうきん族
下品だという理由で見せてもらえなかった。
クラスの奴等の話に参加するため3度に1度は見たいと思い、
子供ながらに志村
あえなく却下された。
単に親の好みだったのだろうと思われる。
他にも、カックラキン
そうそう、忘れてはいけない、
少し遅れてはまったまんがにパタリロ
今の私の人格形成に少なからず影響を与えているはずである。
その後、たけし
カノッサの屈辱
チャップリン
その後、夢であえたら
幸福な青春時代を過ごした。
また、
開高健
寺山修二
演劇、舞台、芸術と笑いについて考えさせられた。
また、ビーン
社会人になっても、オンエアバトル
(チャンピオン大会は第1回からくまなく見続けている)、
ボキャ天
などはときどき見てきたし、
私生活が忙しくなった今でもときどき見ている。
M−1
最近読んだ本で面白かったのは、これ
最近のお気に入りは、鼻兎
ウィキペディアの「日本お笑い史」によれば、
私は第2世代から、現在の第5(6?)世代まで関わってきていることになる。
幸運なことだ。
思わぬ発見にうれしくなる。
では、次に、そもそも笑いとは何か
私は、ギャップだと思う。
言い換えれば、構図のずれ。
偏見や固定観念、一般的なパラダイムに
普段と異なる視点を与えることで生ずるずれを楽しむものである。
時に滑稽に、時に辛らつに。
微笑、哄笑、嘲笑、苦笑、歓笑、失笑、大笑、朗笑。
笑いに昇華させることでカタルシスを得られることも多い。
その効果は、ストレス
争いさえも回避する力を持つ。
また、時の権力者や自分の上位にある者への対抗手段、自衛手段としても用いられる。
ゆえに、お笑い芸人には、柔軟さ、斬新さとともに、
反逆、反骨の精神が求められる。
安易に定型に納まることは笑いに対する冒涜である。
お約束というパターンの笑いもあるにはあるが、
それは予定調和的なもので、
大抵、場を鎮めたり、仲間意識を高めたり、
空気を共有するための役割でしかなく、
面白いものではない。
親父ギャグが寒いとされるのも、このためであろう。
斬新さがなく、くだらなく、しつこい。
落ち着いてしまっては面白くないのである。
この点、最近あった、
聖火ランナーとしての欽ちゃんに対するたけしの発言はふるっている。
いわく、
「愛と涙ばっかり」「お笑いのくせにインチキくせえことばっかりしやがって」
http://narinari.com/Nd/2008049331.html
本人だって最近文化人気取りじゃん?という指摘はひとまずおいといて、
(芸人としての「ビートたけし」と監督としての「北野武」は別キャラということで)
やはり、芸人かくあるべしと思った次第。
世知辛い世の中になると芸人が増えるのも、
需要と共有から、世間が笑いによる癒しを求めていることの証左なのだろう。
*この記事のためにいろいろネット上で調べものをしていたら
笑い学研究なんて論文集があった。
大変興味深い内容なので、参考まで。









